AppleのPC、MacBookの天板がまだ、リンゴ模様で光っていたころ、カフェでPCを広げて仕事のようなことを行っているのは、「できるビジネスマン」を演出するうえで有効であった。映画でも、リンゴ模様に光るPCをカフェなどで広げ、カチャカチャとキーボードをたたく姿が見られた。
電車の中、新幹線ではなく、山手線などのローカル線でも、PCのキーを小気味よくたたく姿は、PCを広げている本人はほぼ自己陶酔していそうな、かっこよい作業であった。しかし令和になったら、このような姿は、かっこ悪い姿になりつつあると思う。
ワークライフバランスの変化に伴い、仕事を外に持ち出すのは、自己管理できていない人にも思われかねない。また、山手線はもってのほかであるが、新幹線の中でさえ、仕事するのはあまり格好の良い行いでは無くなったし、キーボードの音が気になって、周りは迷惑である。リンゴ模様が光らなくなったAppleのPCが販売されている時代は、外でPCを操作するのは格好悪いし、セキュリティー上も良くない。
この文章は、全国的に有名なドーナッツ店で入力しており、夜の店内には誰もお客様がいないので、キーボードを鳴らしても迷惑にならないし、誰も私のことを気に留める人はいない。店員さんでさえも。今のご時世は、監視カメラで監視されている。
私はほとんど入ったことがないのだが、全国的に有名なコーヒーショップでは、まだPCをカチャカチャさせる習慣があるのであろうか?個人的には、全国的に有名なコーヒーショップでは、ふかふかのソファーに座りながら、ゆっくりと紙の本を読む場所であって、仕事をする場所ではないと思う。
30年余りの会社生活を経て、とはいっても30年分の経験を積んだわけでもなく、1年で習得できることを30回繰り返しているとも、自虐的に考えているのだが、30年余りの会社生活において、仕事のアイデアで良いものを思い付いたのは、PCを使って仕事している最中ではなく、カフェでぼーっとしながら、たたずんでいた時が多かったような気がする。
私は昔から、何がしかのノートや筆記用具は携帯していたので、思い付いたアイデアは、ペーパーナプキンではなく、きちんとノートに書き留めていた。このため、比較的アイデアはしっかりと残っており、仕事を行うときに再利用できた。これらの教訓から、ノート、ポストイット、筆記用具は携帯しようと考えた。ただし今は、スマートフォンに入っているOneNoteに入力することも多くなった。
私は昔から、新幹線内では仕事をせずに、本を読んだり考え事を行うことと決めていた。新幹線内で仕事をするときは、夏休みの宿題を9月1日に行わなければならなくなったときのみだった(そして何度も行っていたが)。新幹線内は読書がはかどる。
カフェでノートPCを広げ仕事をすることは、セキュリティーの管理上望ましくなく、格好の良い行為ではないのは、令和の常識かもしれない。しかし、カフェでぼーっとしながら、仕事のアイデアを考えるのはアリであろう。あるいは、BGMに流れている英語の歌について、考えをめぐらすのも良いのだろうか。ビートルズの歌は、いつ聞いても良いですね。
私もそろそろ、会社人生のゴールラインが見えてきた世代であるが、仕事で夜寝られないくらい考えたこともあり、プライベートで仕事のことを考えない「キルスイッチ」が発動するようになった。このため、仕事を家に持ち帰っても、仕事ができなくなった。これではサラリーマン失格でしょうか?
そしてカフェでぼーっとしながら、ブログの文章をインプットし終わり、アップロードし終わったら、子どもの塾の迎えに行く。