あっという間に2024年が終わり、2025年が到来しました。昨年は元旦から地震や航空機の痛ましい事故があり、年末にも韓国で信じられない様な航空機の事故が有りましたが、今年は平穏な幕開けになったと思います。
三嶋大社は、毎年訪れる神社です。コロナ明けの一昨年から、訪問者が激増したように感じます。今年もかなりの行列を覚悟したのですが、賽銭箱の並べ方や参拝の誘導システムを改良した結果か、かなりスムーズに参拝出来ました。
参拝客は、地元の方を中心に、比較的観光客は少なかった印象です。外国人の方もちらほら見かけましたが、日本在住の方が殆どの印象。参拝の列の移動に、なんとはなしに規律の様なものを感じ、日本人の良さを感じました。この規律の良さを、揶揄する方もいるでしょうが、2025年以降の世の中では、必要とされる集団のスキルなのではと思いました。
少なくとも私の目で見た限りでは、群衆の中で暴れる人、スリを働く人、ぼったくる商売人、酒臭い人等はおらず、皆、静謐な空間の、空気を共有していました。
一方で、電車で移動中に出会った、中学生と思われる男女の集団、7、8人の子ども達は、保護者無しで何処かに向かっていた様ですが、電車内でふざけ合っていたまでは良いのですが、女の子が男の子に、またその逆もあったのですが、頭を叩く、ケリを入れる等のふざけ合いをしていました。服装をみる限りは、そこそこ裕福な層の子ども達と思われますが、思春期の元気な子ども達の範囲を逸脱した、暴力性にも感じられました。
あくまでも推定ですが、子ども達は塾に行こうとしていたのでは無いか。子ども達は、人と競い、より高みに達するための訓練を受けに、親からお金を貰い、塾で訓練を受けに行ったのでは無いか。これからの時代は、ますます調和が求められると思いますが、かなり気になりました。
誰かの足が私に当たり、私は本から目を離し顔を上げたのですが、女の子が私に謝っていました。その後もまた、ふざけ合っていました。ひと昔前の私なら、間違いなく子ども達に怒っていたことでしょう。しかし私は、子ども達に何かの憐れみのような感情を抱いたのでした。
神社のはなしに戻りますが、うちの子どもが、巫女さんのアルバイトならぬ奉仕に参加しましています。あくまでも奉仕なので、労働条件や報酬はぼやけている印象でした。これらは過去からの因習なので、ずっと続けられるのでしょうが、神事も資本主義の影響を受けているとつくづく思いました。
その後は、原価率が驚くほど低いであろう御神籤をひいて、しかし三嶋大社の御神籤には、金属製のチャームがついてくるのでお得ですが、神社の境内に並ぶテキヤならぬ個人商店の出張販売を眺めながら、富士宮焼きそばを買って帰りました。
帰りに、シャギリと呼ばれる独特の旋律を奏でる演奏会を観てきました。かねと笛、太鼓により単調な旋律を奏で、時々BPMが速くなるなど、テクノ音楽、或いはインドネシアのケチャの様な音楽です。この音楽は夏の三嶋大まつりで、各団体による競演が行われます。正月にいつも演奏しているのは、その団体の一つです。
私が小学校のPTA役員をしていた頃、学校のPTA行事と、シャギリの練習が重なる話が有りました。行事に参加する校区の団体が減った時期でした。当時は、学校行事に参加する熱量の低下を嘆きましたが、今考えると、シャギリの保存のほうがPTA行事より重要だと思います。
長々と書いてしまいましたが、さまざまな思いが去来した正月でした。