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愛玩具としてのカメラFUJIFILM X10(赤瀬川原平さんに捧ぐ)

FUJIFILM X10 愛玩具としてのカメラ (赤瀬川原平さんに捧ぐ)  撮影サンプルとともに TRIBLOG 259

この動画は、タイトル付けで失敗した。公開後の視聴回数が低く、かつ、チャンネル登録を解除された方が2名程度おられたからである。「愛玩具」という表記は、赤瀬川原平さんがカメラのエッセイを多数輩出されていた時を想起させる、カメラ愛の一つの表現形態であるが、最近ではコンプライアンス的に危ない表現なのかもしれない。フェティシズムには多様性が認められないらしい。「愛玩具」とは、小さい子どもが片見離さず持ち歩いている玩具であり、カメラもそれに該当し得る。四六時中カメラを触り、写真を撮るわけでも無いのにカメラを構えたり、シャッターを押したりする。首にぶら下げて散歩して、人の目を気にしながら、人の反応を見ている。ライカが好きな方の1%くらいは、愛玩具としてライカを所有している方では無いかと勘繰る。フィルム時代のカメラは、容易にフィルムを消費するようなことはできなかったので、フィルムを装填せずにシャッターを押したり、レンジファインダーを見ながら焦点を合わせる真似事をよくやっていた。デジタルのご時世は、贅沢に写真が撮影できるので、本当にしょうもない写真を多く撮影する。しかしながらそうしながらカメラの構え方や、モードダイヤルの設定の仕方、暗闇でもレンズ交換をできる能力が身につく。カメラを愛玩具として扱うのは、精神の捻じ曲がった人の行う所業ではない。

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