今日、コインランドリーで毛布を洗濯しに行ったが、運転を誤り、空のまま洗濯を開始してしまった。キャンセルもできず、ただ呆然と眺めたのもつかの間、気を取り直して、となりの洗濯機で毛布を洗濯することとした。1200円は、痛い授業料となり、また、プログのネタを提供してくれた。
事の誤りは、最初にドラム洗浄の工程がある事を事前に認知していなかったことで、お金を入れる前にドラム洗浄しなければならないところを、お金を入れたドラム洗浄したつもりでドアを閉じると、洗濯がスタートしてしまった。
機械の操作方法は、洗濯機の操作パネルに表示されており、使い方の説明は、機械の上方に貼られている。良く読めば手順を理解して正しく操作できるのだが、良く分からないまま、説明を読まずに操作しため、結果として私は、赤い洗濯機を2台占有している。
もちろん、コインランドリーには店員さんはおらず、操作方法についての質問はできなかった。この手の不親切さに、私自身苛立つかと思いきや、何故か冷静沈着とした対応で、ブログの材料が手に入ったと、ほくそ笑むのであった。
最近、スーパーのレジやコンビニでも、無人の支払いシステムが増えている。スーパーには現在、無人レジの使い方を指南する店員さんが居るが、そのうち居なくなるのだろう。
ガソリンスタンドも、ほぼ全ての場所で、給油を店員さんが行わなくなった。と言いつつも、給油を許可する店員さんが常駐しており、ガソリンを給油する前には、店員さんによる確認がなされている。
私の子ども時代には、駅の改札には、切符にハサミを入れる駅員さんがいたが、今では当たり前のように無人ゲートがそびえ立っている。
近頃、AIが人々の仕事を奪うと言われているのだが、最近までの無人化の動きを振り返ると、かなりの人々が、仕事を奪われたとも言えよう。スーパーのレジ打ち、ガソリンスタンドの給油係(高校生の花形のバイトだったと記憶する)、駅の改札係など、確実に減っているのだと思う。
コインランドリーの洗濯の終わりごろ、順番待ちの人がおり、バツの悪い思いをした。コインランドリーの操作も出来ないオジサンは、今後の無人化社会では、生きられないのかもしれない。
なお、選択後の毛布がまだ湿っていたので、乾燥機を8分間100円で稼働させた。トータルで2400円なり。クリーニング店よりは得なのであろうか?