TRIBLOG

2011年からの私は何をしていたのか

今日、3月11日は、東日本大震災から13年目となる日だ。当時の私も今の土地にいて、今の会社に居て、外に避難する際に、横揺れが止まなかったことを記憶している。その後私は、災害対策という名のもとで、アウトドア用品を買い漁り、スノーピーク製品を知り、富士登山やトレッキング、キャンプを知り、以降寝袋とマットで就寝する生活を続けた。食事の量を減らし、持ち物を減らし、子どもの成長を見届け、その時購入した製品は寿命を迎えたので購入し直した。その後は全国各地で災害が発生していたが、幸いなことに私の住んでいる地域に災害が発生していない。

2011年の私は仕事中心の生活であり、子ども中心の家庭であり、地域社会とのつながりは希薄であった。その後学校のPTA役員となり、地域とのつながりを意識しだし、子ども会の衰退を目の当たりにした。子ども会は地域コミュニティの中で重要な位置を占めることがわかり、人と人とのつながりや、安否確認を行う場や、防災の一つ単位でもあることがわかった。学校は避難場所になり、防災拠点になる。

震災後の計画停電は、インフラの脆弱さを実感させることであり、ポータブル電源やソーラーパネルを常備するきっかけとなった。しかしソーラーパネルで賄える電源はわずかであり、電源喪失した後の生活は心許ないことがわかった。以降は、懐中電灯を部屋の至る所に常備する生活を習慣化した。電気に頼らない照明、ろうそくの灯りも準備した。寝具は、サーマレストのクローズドセルのマット(リッジレスト)を好んで使用していたが、毎日使用していると、マットが柔らかくなることを体験した。程よい硬さになったとも言えるし、身体の形に変形したので寝にくくなったとも言えた。

2019年の年末から始まったコロナ騒ぎは、ロックダウンまがいの出来事と、それによる仕事環境、住環境の変化など、さまざまな不自由を味わった。トイレットペーパーがなぜか店から無くなり、パスタなどの乾麺類も少なくなった。ここで食料の備蓄について考え、衛生管理や危機管理について見直す機会となった。ウィルス除去のためのアルコールや、次亜塩素酸のスプレーも、多く買い込んだ。

会社の仕事を在宅で行なったこの頃から、YouTube投稿を始めた。パソコン環境を一新させて、ネットに特化した快適環境を作り出した。ゲーミングチェアを導入し、凝った照明を机にセットし、スマートいフォンやミラーレス一眼カメラ、ビデオカメラを探索した。しかしながらこれらネット環境は、一瞬にして消滅する脆弱さを持っていることを自覚した。YouTubeアカウントは簡単に失われることもあり、インターネット環境も、ネットワーク管理者の意向により簡単に遮断できる。

2020年を超えてからは、私の価値観が大きく変わり、また、私の人生の後半における身の処し方を考えることとなった。自分にとって何が大切かを強く意識して、優先順位をはっきりとさせる。親の体調不良をきっかけにして、優先順位を見直して、仕事環境や生活環境の見直しを行なってきた。防災においては備蓄を見直したが、正直なところ、本腰を入れて実施できていない。車中泊を想定した自動車の買い替えも検討したが、私は16年ほど乗り込んだトヨタのヴィッツを、手放す気にはなれない。

3月11日が訪れるたびに、私は防災や、自分の人生における優先順位を見直すことになるであろう。私は今後も、寝袋とマットで就寝するだろうし、防災用品を準備し続けるであろう。そして、どんどん持ち物をシンプルにして、簡単に移動できる状態を作り続けるのであろう。この方向性を突き詰めると、私はノマド、遊牧民的な生活を送ることになるのであろうか?朧げに私の未来が、ブログを執筆しながら見えてきた。

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