TRIBLOG

あの時も病室にいたKEENの靴

私は父を10年近く前に亡くした。私は就職して以来、実家を出たきりであったが、父の死には偶然立ち会えた。父の最期の夜、私はたまたま、父の病院に訪問していた。翌日帰る予定であったが、何故かその日は、夜病院に泊まろうと考えた。何故だか覚えていないが、何かがそうさせたのであろう。

当然、泊まるための道具は持ってきていなかったので、近くの店でタオルなどを購入し、近くのレストランで食事をとった。その時見た赤い夕陽が、今でも心に残っている。

父はガリガリに痩せていた。元々父は痩身で骨太の体躯を持つ男であったが、その時本当に、骨と皮だけになっていた。抗がん剤治療で弱って、自宅でも弱って、最期にはホスピスのような病院に入院していた。私はこの頃、かなりの頻度で帰省して、両親と会っていた。この時も、カジュアルに訪問してカジュアルに帰る予定であったが、何故か私は、夜通し父を見ることとなった。

OMMのザックとKEENの靴。アウトドアにはまって、身につけるものは殆どアウトドア製品だった。KEENの靴は履きやすく脱ぎやすい靴だった。防水のアッパーで、滑りづらいソール。無骨だけれども優しい靴。私は夜に備えて、靴の紐を緩めた。

その夜、父の病状は急変して、大変苦しがっていた。看護師さんのアドバイスに従い、水を欲しがる父に、氷を与えていた。喉が渇き、暑そうだった。これが最期だとは考えていなかったが、何かの異常が起こっていることはわかった。その後、父が氷を要求する頻度が上がり、ものすごく苦しそうなそぶりを見せた。そして、看護師さんを呼ぶナースコールのボタンを押した。

看護師さんは、父を楽にさせるための点滴を打つことに関する同意を、私に求めた。私は同意した。看護師さんは、父の足の血管に針を刺して、プラスチックバッグの中身を、確実に父の身体に注入した。この時は、おそらく、深夜で0時をすぎていた。看護師さんは、父の足をさすってあげるように私にアドバイスを行い、私はそれに従った。

私は知らぬ間に寝てしまい、4時ごろに起きたと思う。その時父は、すでに冷たくなっていた。私はナースコールを押して看護師さんを呼んだ。この時なぜか記憶にあるのは、紐を緩めた、クタクタのKEENの靴であった。

本日、ほぼ同じ型のKEENの靴が届いた。欧米系の靴は私の足には合わないので、1cm大きなサイズを履いている。家に近いアウトドアショップには売っていないサイズである。久しぶりに靴に足を入れて、あの日のことを思い出した。

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