電子辞書は、オンライン辞書に依存しない、独立した辞書なので、集中力を妨げずに調べ事ができる。このため、高校に入学すると購入を推奨される。しかしながら今年は異変が起こり、タブレット端末にインストールするタイプの電子辞書を、ライセンス販売するという事態に遭遇した。これをみて、教育産業の終焉を予感したというのは、大袈裟だろうか?
調べ物に関し、2024年の現在においては、Googleのような検索窓に単語を入れて、その単語の意味を調べることや、Chat GPT のようなAIの検索窓に質問文を入れて、その質問に直接的な回答を出してもらうことが当たり前になると、電子辞書のような道具を持つことの意味を考えてしまう。
辞書、以前は紙でできた分厚い本であった辞書は、調べる過程で目にふれる情報の数々が、知識に幅を持たせてくれていた。ページをめくる途中に出てくる図表や単語に心が移り、その言葉のことも知りたくなる。電子辞書も、単語を調べた結果から新たに出てきた単語の意味を調べる機能や、単語にリンクが貼られていたり、関連情報が貼られていたりして、次々と新しい単語に触れることが楽しかった。
しかし、スマートフォンやPC、タブレットなどで検索を行う過程には、集中力を発散させる仕掛けが満載されている。その際たるものがSNSであろう。検索結果を確認する前に、SNSの新規メッセージが気になり、通知が気になり、新しくプッシュされるニュースをみてしまう。これでは学習に集中できないであろう。
電子辞書アプリをタブレット端末にインストールするということは、よほど集中力を持続できる人でないと、調べごとを完遂できないのではないか?確かに、学習用タブレットには、余計な情報に触れないような仕掛けや、学習用に特化したアプリ構成にしているのであろう。私はタブレット端末を用いた授業を受けたことがないが、子どもたちは、新しい学習要領に適応しているのであろう。
実は私も、新しい電子辞書(https://amzn.to/3VxeZVx)を購入したのだが、AIの検索を覚えてしまった後には、魅力や利便性が失われてしまった印象を持っており、電子辞書の稼働率が著しく少ないことを自覚した。コンテンツや辞書の出典も、思ったよりもアップデートされておらず、情報の鮮度も今ひとつであること感じている。そしてAI検索と比べ、圧倒的に知識量が少ない。
2024年の現在において、電子辞書は必要性がほぼないかもしれない、という結論になりそうなのだが、オフライン検索の必要性を再確認するために、もう少し電子辞書と付き合いたいと思う。