鐘と太鼓、笛でリズミカルに音楽を奏でる「シャギリ」は、三島市における夏の風物詩である。初夏になると、三島市内の公園などで、子どもや大人がシャギリの練習をする。シャギリの練習を公園で見る限りは、楽譜のようなものはなく、基本形となるリズム、金の叩き方を記した板を子ども達に見せていた。基本リズムから先は、ジャズセッションのようなアドリブに近い演奏になっているのではないか。厳密には、各団体ともに伝承されたストーリーがあり、同じようなリズム感でありながらも、微妙に旋律が異なっている。なのでシャギリを眺めるのは面白い。
シャギリの旋律は、聴いているうちに催眠状態に陥る気がする。他の音楽等に例えると、インドネシアのケチャ、般若心経、あるいはジョン・コルトレーンの至高の愛など、淡々とした旋律が特徴的である。三嶋大祭りのクライマックスは、夜、三嶋大社前に集合した山車(だし)が、煌々と灯を照らしながら、シャギリを各々演奏する。指揮者がいるわけでなく、全体的にまちまちに演奏しているようでも、何らかの調和が生まれている。
今回の動画は、夜のシーンを撮影しなかったのであるが、昼間に山車を引きながら、各々にシャギリを演奏するというシーンを撮影した。三島市内の各地域に子どもから老人まで集まり、晴れの舞台に合わせて準備をしてきて、その成果が披露される。山車は、地域によっては維持することが困難になり、動かない山車も多かった。全体的に、人数が維持できている地域と、明らかに減少している地域があったものの、各地域ともに、楽しそうに参加していた。
以前、何かのニュースで、山車が暴走して事故が起きたことを知り、この手の技量を継承することの難しさを感じた。三島市内の地域でも、以前関わった子ども会の維持に関して、少子化の影響や、親がボランティアすることに対する反応など、難度の高さを感じていた。地域のつながりも、希薄になっていることを感じる中、三嶋大祭りの維持も、かなり難しくなっているのではないか。
今回の動画撮影と編集において、最も印象的であったのは、ある団体の方の、演奏中の楽しそうな姿であった。