結局、私の母は、癌であった。

私の母は、極めて例の少ないガンにかかり、先日1クール目のガン治療が終わった後、自宅への帰宅が許可された。厳密にいうと、病床に余裕が無く、体力が回復しそうな患者は、ひとまずベッドを空けてもらうのが真意のようであったが、とりあえず一時退院できた。

私は学生時代に、西洋医学的手術の恩恵を受けて、今は生活に支障のない健康状態を維持できている。しかし私は極度の病院嫌いであり、最近は風邪と、頭を5針縫う怪我以外は、病院のお世話になっていない。そして私は、西洋医学的なガン治療には否定的な立場をとっている。

私の考えとして、ガンはストレスを凝縮させる防波堤のようなものであり、ストレスがかかった箇所全体を守るために、ガン化させることで、カラダ全体を守っているのだと思う。したがって、ガンは身体を守る善き腫瘍であり、切除などで消滅させるものではないと考えている。科学的な根拠はないのだが。

私の父は、11年の間に数々のガンと、ガン治療を経て、最期は苦しみのうちに亡くなった。私は実家から遠い場所で暮らしていたのだが、たまたま訪れた父の病院に、たまたま宿泊することとなり、結局、父の臨終に立ち会うこととなった。母は、父の看病で11年間苦しんでいた。

私がその病院を訪れた際、主治医の上司にあたる方と偶然会った。その方はなぜか、眼を腫らしながら、私に挨拶した。私はそのとき、面会できなかった母の、死期を悟った。

その翌日、主治医の方との面会があり、治療経過と治療方針について説明してもらった。その先生は華麗なる経歴の方で、実績の多い方のようである。病院のホームページに載っていた経歴と、論文の業績が輝かしかった。

私は、事前にガン治療に関する情報を、ネットや書籍で勉強していたが、主治医の方の説明に、ついていくのがやっとであった。この際、役に立った本は、ブルーバックスの、『「がん」はどうやって治すのか」であった。

その先生の説明を要約すると、私の母は極めて例の少ないガンにかかっており、確立されているガン治療を試みるも、まずまずの成果であり、母の病状を考慮して、あらゆる文献を検索して得た、外国の症例に基づく治療を試してみる、ということであった。

医学に限らず、あらゆる科学は、トライアルアンドエラーによって成立していることは理解しているのだが、ガン治療においても、トライアルアンドエラーにより進歩していることを、この主治医の説明で理解した。極めて冷静に、治療中に亡くなられたガン患者の例を引用しながら、早口で、母の治療方針案を説明してくれた。私の質問にも、極めて冷静な、あるいは無頓着な回答をいただけた。この治療方法は、やってみないとわからないと。

私の母は、父のガン治療を間近に見ているので、自分がガンにかかったら治療はしないと言っていたものの、結局は治療を受けることとなった。私も、仮に自分がガンの宣告を受けたら、どうしようかと思っている。やはり、うろたえた後に、医者の先生に命を委ねるのであろうと想像する。

仮に将来、私が、山奥の村に隠居することとして、晴れの日は畑を耕し、雨の日は読書をする生活を行っていたとしたら、私がガンの宣告を受けたら、私は畑の肥料になることを決意するであろう。しかし私が、意識を失った状態で発見されたとしたら、病院に搬送され、医師は、命を救うために、西洋医学のあらゆる治療を試みるであろう。

私は、私の両親のガンの実例に触れながら、自分の死に方を考えている。

投稿者 junjitee

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